戸越の呼び名のおこり
成就庵 行慶寺のはじまり
八幡山成就院行慶寺
江戸名所図絵にみる行慶寺
行慶寺の伽藍整う
戸越の名産はタケノコ
戸越公園は細川公の下屋敷
品川用水と戸越村
剣客商売「十番斬り」
念仏の守護者としての八幡大菩薩
五月一日のお施餓鬼の由来
お十夜は「十日十夜」の法要に由来
園児を病魔から守る庚申さま
三角の自然石、実は馬頭観音
赤い頭巾とよだれかけのお地蔵さま
境内散策:旅立ちの法然さま
境内散策:十三重の石塔
 
HOMEに戻る

八幡山成就院行慶寺

 江戸に幕府が開かれて間もなくの寛永十一年、幕府より戸越の現在地に土地を賜り、寺号も「八幡山成就院行慶寺」と号するようになりました。

 約三十年後の寛文二年、戸越に細川越中守の抱屋敷がつくられました。
 この抱屋敷は、現在の戸越公園・戸越小学校・文部省資料館を含む広大なものでした。

 戸越一丁目にも旗本や大名の下屋敷がいくつかでき、戸越村の中心は旧東戸越に移ってきました。
 これにともない、村人や武士の信仰の中心として行慶寺に参詣する人も増え、また当時の「一村一ヶ寺」制度の下で幕府の保護も受け、本堂・庫裡・観音堂と次第に伽藍(がらん)を整えていきました。

 墓地内にもこの当時(寛永年間)の石仏や石碑が見られます。
 資料館の東側を通り、八幡坂から四ツ塚に抜ける道は、当時からの古道でもあります。

八幡坂
八幡坂

 

次へ