境内に入ってすぐ右手に立つのは「旅立ちの法然さま」のブロンズ像です。
浄土宗を開かれた法然上人は幼名を勢至丸といい、美作国(現在の岡山県)にお生まれになりました。九歳の時父親の漆間時国公は夜討ちにあい、「仇を恨んではならない」と遺言しました。
勢至丸は父の菩提を弔うため母とも別れ、叔父の智鏡房観学が院主を勤める菩提寺に入り仏教を勉強しました。「一を聞いて十をさとる」勢至丸の非凡な才能を早くから見抜いた智鏡房は、求道の志が篤いのを知り、さらに勉強を勧めるため、当時学問の(仏教)中心地であった比叡山へ旅立たせました。
時は久安三年(1147)勢至丸十五歳の春のことでした。
この「旅立ちの像」は、母と別れ一人比叡山をざし旅立つ勢至丸の平和を求めるお姿を表すもので、平成十五年十月に聖美幼稚園園長の内山正憲先生より寄贈されたもので、また自御影石の台座は世話人の馬野光晴殿のご寄付によるものです。