陶製、像高約25センチ。戦前からそれまでの本堂の脇壇に安置されていて、当時は彩色されていました。罹災後の焼跡から、この割れ易い像が、ひしゃげた二枚の双盤の間に無傷であるのを見つけた時の驚きはいうまでもありません。熱で素焼きのようになっていて、その後一度誤って倒し二つに割れたのですが、檀徒の馬野兼春氏が漆で継ぎ、更に金箔を置いて下さったものです。不思議な像です。
実は昔から木造の観音像を山伏の負づるに似た厨子に納めて、お檀家や土地の方のところを数日づつお宿してお供養をうけることが昭和の初めごろまで行われていて、江戸時代の古い絵図にも境内の一隅に観音様を図示しています。この像は木造でしたから火中して今はありませんが、この陶製の像がその身代わりかと見え、現在厨子に納めて、御本尊の後ろに安置してあります。