文科省資料館脇の細い道は行慶寺の前を経て碑文谷へ通じる古道でした。池波正太郎はこの戸越を時代小説「十番斬り(新潮文庫)」の舞台にしました。
『天明三年(一七八三)正月、剣客秋山小兵衛は駕籠で行慶寺へ向かった。行慶寺は、戸越村の鎮守・戸越八幡兼帯の寺で、杉並木の参道の西側にあった。
本堂も庫裡も藁屋根で、深い木立に囲まれている。
「これは、また、風雅な寺じゃ」駕籠を下りた秋山小兵衛は、静寂な行慶寺の境内をながめつつ、「少し、待っていておくれ」と、駕籠舁きにいった。』(133頁)
小兵衛が寺を訪れたのは同じ剣客の村松太九蔵を見舞うためで、時の住職は道誉和尚。
村松太九蔵は和尚に人柄を見込まれここに住み着き、寺子屋を開き子ども達に読み書きを教えている。
死の病の床の村松が思い残すのは、馬込村万福寺近くに巣くい村民に危害を与えている十悪人を討ち取ることだった。
さて、行慶寺過去帳によれば、当時の住職は二十世台誉上人で、天明八年には二十一世将誉上人が遷化しており、小説の中に出てくる「道誉和尚」の名は見あたらないのです。