「江戸名所図絵」に見るように、江戸中期にはほぼ現在の位置に茅葺きの本堂が勧進、建立されたようです。寛政年間(十八世紀末)には、第二十二世の演暢上人によって改築が行われました。「図絵」は天保七年の刊行ですから、絵は江戸後期の様子を現しています。本堂に向かって左手に見えるのが観音堂です。庫裡と納屋を右手にそなえ、伽藍として整備されたことがわかります。
かつての成就庵は、寛永十一年(一六三四)の検地によって現在の所に寺域を得、寺号を「行慶寺」と称するようになりました。また参道の左右は畑地で、除き地として幕府より年貢を免除されました。
絵図を今日に重ねて見ると、幼稚園は当時の庫裡から納屋にかけて建てられています。