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寺院、境内のご案内

手水鉢、亀石、など

本堂右手にある石造の手洗い鉢。正徳五年(1715)の戸越本村鈴木氏の寄進幼稚園裏手の墓地に三分の一ほど土中に埋まっている。表面には四拾八貫目余と彫り込んである。かつて農産物の計量に使われた物と思われる。
寺院、境内のご案内

墓地:江戸時代の墓碑群

舟形の石にお地蔵さんや観音さまを半肉彫りにした江戸時代の墓石が、御本堂と園舎の間の参詣路に数体安置してあります。素朴な供養の心がしのばれ、合掌せずにはいられません。尚、昔の講中の方が供養した三界万霊の碑が二つ、墓地の一隅にあります。
寺院、境内のご案内

境内散策:旅立ちの法然さま

境内に入ってすぐ右手に立つのは「旅立ちの法然さま」のブロンズ像です。浄土宗を開かれた法然上人は幼名を勢至丸といい、美作国(現在の岡山県)にお生まれになりました。九歳の時父親の漆間時国公は夜討ちにあい、「仇を恨んではならない」と遺言しました。...
寺院、境内のご案内

境内散策:十三重の石塔

境内を入って右手に立つ石塔が十三重塔です。五重塔や三重塔は奈良や京都の寺院でよく見ますが、十三重の塔は珍しいかもしれません。塔、または仏塔は寺院建築物のひとつで、本来は釈尊の遺骨(仏舎利といいます)や記念品を埋めたものです。仏塔には土饅頭型...
行慶寺の歴史

行慶寺の伽藍整う

「江戸名所図絵」に見るように、江戸中期にはほぼ現在の位置に茅葺きの本堂が勧進、建立されたようです。寛政年間(十八世紀末)には、第二十二世の演暢上人によって改築が行われました。「図絵」は天保七年の刊行ですから、絵は江戸後期の様子を現しています...
行慶寺の歴史

江戸名所図会にみる行慶寺

名主・斎藤家が三代をかけ、天保七年に江戸とその近郊の名所旧跡案内として刊行したものです。 その巻之二に見る行慶寺は「大崎より東海寺裏の方、戸越村にあり。文禄元年起立、浄土宗にして開山念譽上人。戸越八幡兼帯なり。願成院と号す。」と本文にあり、...
行慶寺の歴史

剣客商売「十番斬り」

文科省資料館脇の細い道は行慶寺の前を経て碑文谷へ通じる古道でした。池波正太郎はこの戸越を時代小説「十番斬り(新潮文庫)」の舞台にしました。『天明三年(一七八三)正月、剣客秋山小兵衛は駕籠で行慶寺へ向かった。行慶寺は、戸越村の鎮守・戸越八幡兼...
行慶寺の歴史

八幡山成就院行慶寺

江戸に幕府が開かれて間もなくの寛永十一年、幕府より戸越の現在地に土地を賜り、寺号も「八幡山成就院行慶寺」と号するようになりました。約三十年後の寛文二年、戸越に細川越中守の抱屋敷がつくられました。この抱屋敷は、現在の戸越公園・戸越小学校・文部...
行慶寺の歴史

八幡大菩薩

行慶寺の隣には神社があります。言い伝えによればご神体は行慶寺裏手の清水の中から出現したそうで、そのためか、秋の祭礼には必ず雨に降られるようです。八幡神社は行慶寺の東北角、鬼門に当たるところにあり、念仏の信者を悪疫からお守りする役目を果たして...
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入口の地蔵菩薩

お寺の入口に立つ石仏です。像高110センチ。昔からのお地蔵さまです。子供の病気平癒を祈り、願いがかなった御縁で御檀家になられた方も居ります。地蔵菩薩【じぞうぼさつ】六道(ろくどう)の世界に苦しむ人々を救って下さるという菩薩。子どもの守り仏で...